「独り言」:経験や取組に無駄なことはありません。。。

この歳になり、つくづく思うことがあります。
この世の中に無駄なことなどないのかもしれません。

今、TanaKafeWorksで取り組んでいるテーマは、全て過去の経験や知識の延長線上にあります。
過去にはうまくいかなかったものも沢山あります。途中までで挫折したものも、中途半端で放置したものなど、色々です。

しかし、50歳を超えたあたりから、それらが、つながり始めるような感覚を持つようになりました。
自分の頭のなかで、何か変化があったのか、よくわかりません。
それは、LLMの学習が、あるレベルを超えると急に凄くなることに近いのかもしれません。

職人さんが、一人前と言われるか?みたいな領域に入るそんなレベルの違いが、私にもおとずれたのかもしれません。
多分、気のせいでしょうが、こんな話題を書こうと思ったのは、これから取組もうと考えている仕事で、スマホの中で動くアプリ開発に関連しています。

もともと、TanaKafeWorksで、「仮想世界に自分の分身を作りたい」とおもっています。
この仮想世界は、メタバースのようなVR空間を想定していましたが、もっと身近に、スマホの中でもよいかもとも思うようになっています。
数年前に、NHKドラマで、「母、帰る」とうので、死ぬ前にその人の情報をネットの多分AIですが、そこに学習させると、死んでからも、スマホ(電話)を通じて、対話できるというものでした。ドラマは、母が死んで、残された父と息子の拗れた関係のドラマで、その二人をAIの母が取り持つみたいな話でした。

そうなのです。たまたまAndroidに関係した仕事の話があったのですが、少し前からAI関係の仕事ができるかで、取組も始めていて、「AI系はなかなか難しいな~。続けるか、少し悩んでいたりしました」でも、見方を変えると、その取組も、その先を見据えると、何か、つながりを感じるようになりました。

それほど、先を考えて取り組んでいたわけでもないですが、気まぐれで、色々なことを少しだけ。。。そんな感じでやってきたことは、全てつながって来るように思います。

それは、自分の先見性ではなく、自分の本能的興味に向かう気持ちなのかもしれません。

今は成果が出なくても、その先に、その知識や経験は役だつのでしょう。
本当に無駄だったといえるのは、自分がこの世から去るときに、「ああーーーあれは無駄だった」と思ったときでしょう。
でも、無駄だったという執着もなければ、無駄な事は、頭が勝手に消去してくれているから、心配はいらないのかもしれません。

還暦を過ぎた、リタイヤエンジニアの独り言ということです。