「独り言」:興味を持つという事

2024/11/5 NHK総合 22:00-22:45 「宙わたる教室」で、定時制高校の科学部が、学会発表に取組もうとしている時の話です。
他校の科学部で発表している人に、「どうやってテーマを見つけているのですか?」と質問に対して、発表していた人が、「科学部でコンペをして。先生が決める」というせりふがありました。

発表していた生徒が、「科学部でコンペを行い、先生が決める」というのは答えでした。

「どうやってテーマを見つけているのですか?」この問いはとても深い

部員が、コンペに参加するときに、そのテーマをどのように選んだのでしょう?
「誰かに、言われたから」なら、どうしようもないですが、そこに興味を抱いた背景って何なんでしょうか?

この問いは、禅問答みたいなことになってしまうかもしれません。

しかし、その問いに至る道筋には、とても興味がわきます。

一つの仮説

問いに至るために、まずは、その対象への理解を深めることが必要だと考えています。
例えば、自分の好きな事は、常に情報を集め、自分で感が足り、味わったり、自分の思考として、対象理解を行うものだろと思います。
その上で、何かしらの違和感というか、理解できない感覚を覚えた時に、問いが生まれてくるのだろうと、考えています。
その問いついて、思考を始め、その結果、やはり結論が導き出せないというか、「わかった!」という境地に至らない不安定な思考的状況が続くと、本当の問いとして発現するものと考えています。

問いを生み出すことこそ、人ならではの行動なのか?

問いは、今のAIでもおこなえるのだろうか?
そんな疑問を考えてしまいます。ChatGPTなどの対話するAIを使えば、質問にもそれなりに応えてくれます。
当然、対話の流れで、ある領域について対話しながら、問題点を挙げるように質問することはできます。
もちろん、それなりの問題点を答えてくれます。

では、その問題点は、次の課題として適切なものなのでしょうか?

先の、「人が問いを思いつく」ことと、この問題点は同質といえるのでしょうか?

私は、どうも出発点が違うようなきがしてなりません。
人は、最初から課題を考えているわけではないと思います。
これは、新しい製品とか、サービス、イノベーションを作ろうと考え続けて、何かの手法を続けていれば、答えが出るというわけではないことに似ているように思います。

新しい発想を、過去の経験から直接的に生み出すことはなく、過去の経験で作られた思考から、突然変異的に思いつくものではないかと思います。
この突然変異は、ある意味、生物の進化と同じようなものかもしれません。

進化できる思考を身に付けるために、新しい事に取組み続けなければなりません。